妄想と現実のはざま

私の黒歴史な日記置き場

「エヴァンゲリヲン新劇場版:序」をみた。

エヴァンゲリヲン新劇場版:序」をみた。
妻が、この手の誘いだけは決して断らないオタクでよかった。


前作のエヴァンゲリオンが出来てから、もう12年になるらしい。
その作品の位置づけは、私の中ではこんな感じだ。

  • 思わせぶりな設定を最後まで消化しないで、充足しない欲求が物語の魅力になりうることを教えてくれた作品。
  • 表面的には現実に立ち向かう強さを表現しているはずなのに、逆に仮想現実に没入し、オタクに堕する快楽を教えてしまった作品。

どちらの意味であっても、物語を完結させるという、とてもベーシックな現実的帰結に失敗するということこそが、その作品に最もふさわしい結末なのだろうと勝手に納得していた。
だから、ここに来てリメイクされることを知り、私はとても驚いた。
作り手の意図を越えたところに生まれた奇跡の結末に対して、庵野秀明は今さら何をしようというのか。
私がこの映画を見に行った動機は、なんだかそんな上から目線のものであった。


そして約2時間弱、たっぷりと作品を堪能して、私は上記の尊大さを懺悔した。
庵野監督は偉大だった。
緻密に描き込まれたビルや、送電線を運ぶ無数の電車、飛び交う銃撃のメカニカルな美しさだけで、すっかりやられた。明らかに敵に効果のない物理兵器をなぜあんなに使う必要があるのか、はじめて理解できた。
テレビシリーズの制約の中では描ききれず、多くのスタッフがやり直したいと思っていたというヤシマ作戦は、断固としてこんな風に盛り上げるべきだったのだとどこかで宣言したくなるような、最高の演出だった。
また何よりも、冒頭から全編にわたって、前作の続きであることを伺わせる符牒がちりばめられたことで、私はいつしか前作の延長線上、かつてはまったこの作品の問題意識の俎上で物語を追い、没入していた。
ああ実に、12年たった今でも、この作品に「補完」を望んでいたのは私自身だったのだ。


はたしてこの作品は、どのような結末を迎えるのだろうか。
ストーリー的には、行動の意味づけがはっきりとするように整理されている様子で、今度こそ完成に向かって進んでいることを予感させる。
しかし、この第一部としては、元々のストーリーが割としっかりとしていた最初の数話分であり、予断はできないところだ。
予告によると、次回作は原作からの逸脱を宣言しているようだし、本作が完成したのは8月27日だったという相変わらずの切迫感と考え合わせると、次回作のプロットが完成しているとはとても思えないのに、風呂敷を広げるだけ広げてみるという姿勢は健在のようだ。
作品としての決着を、今度こそつけてくれるのだろうか。
逆に、12年越しの期待を裏切って、再度の破綻を描いてくれるのだろうか。
そして、その結末は、今の世になんの意味をもつことになるのだろう。


帰り道で絶賛する私に対して、妻は、
「なにがそんなにいいのかわからない。今さらあれを焼き直しされてもね。まあ、次は新しい展開があるようだし少しは楽しめるのかな」
と、そっけなく語り、まるで「評論家気取りのアニオタきもい」といわんばかりの冷めた視線を浴びせかけてくれた。
自らの琴線に触れる萌えシーンがなかっただけのくせに・・・。

ヱヴァンゲリヲン新劇場版:序 通常版 [DVD]

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