妄想と現実のはざま

私の黒歴史な日記置き場

村上春樹の小説の登場人物は、なぜ充実した性生活を送る必要があるのか


会社の先輩と、「1Q84」について話をした。


村上春樹の小説の登場人物って、なんで充実した性生活を送る必要があるんだろうな?」
「それについては、私に思うところがあるんですよ」
「ほう」
「それは彼の描く精神的苦悩が、少なくとも性的な充実で満足されるものではないということを示すためでないかと」
「なるほど。たしかに、ああいった設定がないと、登場人物に小難しい感じで悩まれても、すべて欲求不満が原因と片付けたくなるかもなあ」
「そうなんですよ。まあ、だからといって、本当にそれが性的な充実で満足されないような問題なのかどうかはわからないと思うんですけどね」


何物によっても解決しない、レベルの高い空虚さを描いてみせて、向き合う必要のない問題に直面させるショックを小説の売り物にするという手法があるとしたら、それは、世界の終末を描いて人々の不安を煽る宗教と同じようなやり方だというべきなのかもしれない。
自己実現論に毒されながら安易な回答も得られない時代にとっての究極の娯楽作品が、上記のような小説としての「1Q84」だと捉えてみると、なんだかやりきれない気持ちになる。