妄想と現実のはざま

私の黒歴史な日記置き場

「じょう」として生きた23年間

秋の切なさに、名前で人生を振り返ってみる。


1979年。
両親は国際化社会を見越し、生まれてきた息子に「じょう」という名前をつけた。
矢吹ジョーがリングで真っ白に燃え尽きて、六年後のことだ。


幼いころ、日常にあふれる「城」や「場」がきらいだった。
大阪城、姫路城、運動場に、脱衣場。
小学校のときに行った、浄水場の見学は、私にとって特別な思い出になっている。


もし、私が城を建てたら、○×(苗字)城、
王様になったら、女王陛下になると気づいたあの頃。
名前を丁寧に呼ばれると、お嬢さんだった。


中学校のとき、アサヒの缶コーヒーがワンダに取って代わられた。
テレビの前で一人、タイガーウッズを憎んだあの日。
当時、寮生活で出回っていたエロ小説では、
じょうという名の主人公が、およそ非人道的な性行為を女医と看護婦にせまっていた。


じょうがジョセフの愛称だと知った、あの日の英会話。
”Are you Joseph?”とうれしげに話しかけてきた外人教師を今でも懐かしく思い出す。
「じょー」や「ぢょう」、「ぜう」や「でう」だって、同じ「じょう」と読めることを知った、あの日の古典。


大学に入った初日、学部の自己紹介で、「名前負けしているね」と言われ、枕を濡らしたあの夜。
ゴールを決められず、ファンにジュースを掛けられたサッカー選手のせいで、苗字だと思われはじめた、初めてのワールドカップ。
出会って一年、「じょうくん、本名はなんていうの?」と真顔で聞いてきたバイト仲間。


最近は人生で開き直るということを覚え、名前の漢字をたずねられると
「極楽浄土のじょうです」と答えることにしている。


矢吹ジョーがリングで燃え尽きて、今年でおよそ30年になるが、
明日がいつなのか、私は未だにわからない。